岩出山町
戦国時代の奥羽の覇者・伊達政宗が、その後の拠点となる仙台青葉山城へ入る前の十二年間を過ごしたのが岩出山。宮城県の内陸北部にあり、先の鳴子温泉を越えると秋田・山形の両県境はもうすぐだ。戦国時代にあって、京の都に上り、天下に号令するのに岩出山の位置は距離的にあまりにも遠すぎ、政宗も若すぎた。岩出山城跡は公園になっており、仙台市の青葉城跡にある伊達政宗像とは違う白い像が、かつての城下を見下ろしている。伊達政宗を偲んで始まった「政宗公まつり」は、今年で41回を数える。
岩出山の領地は、江戸時代になると仙台に居城を構えた政宗に変わって、4男の宗泰が継ぐ。そして、京都の冷泉家からの二代にわたるお輿入れにより、和歌や能などの京文化が岩出山に伝えられた。
江戸時代には、松尾芭蕉もこの地に足を運んで詩を詠んでいる。
町内には内川遊歩道として散策路になっている「学問の道」に沿って水路が流れているが、元々は伊達政宗が用水路として整備したもの(現在のものとは形が変わってはいるが)。
戊辰戦争おいて仙台の伊達藩とともに幕府側にあったため、明治時代には石高を大幅に削減され、多くの家臣が新天地を求めて北海道へ渡った。今も北海道に「伊達」縁の地名が残るのは、岩出山から続く明治初期の苦闘の歴史があったためだ。
なお、かりんとうが名物で、町内の店頭で、大きなアルミの缶に入って並べられている姿に驚く。最近、市内の通りがきれいに整備され、新しくできたポケットパークには、松尾芭蕉像も移ってきた。
宮城県の小京都・岩出山町の観光ポイント
- 江戸時代からの「城下町」
- 政宗公まつり
地域情報
岩出山の名産品・お土産お取り寄せ
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