嵐山町
歴史的に京と結びつきの深い小京都の中にあって、風景が似ていることから小京都になっているのが嵐山。京都の「あらしやま」に対して「らんざん」と読む。日本最初の林学博士で日比谷公園などを設計した本多静六博士が、槻川の渓谷を「京都の嵐山に似ている」と評したのが町名の由来になる。
比企丘陵の中枢部のあり、自然に富んだ地形の中にある嵐山町は、縄文・弥生・奈良・平安・鎌倉・室町・戦国と各時代の遺跡が出土している歴史の町でもある。特に平安から鎌倉時代にかけては、木曽義仲や畠山重忠などの板東武者の出身地であり、館跡が残っている。現在は埼玉県立歴史資料館となっているのは「菅谷館跡」で、中世城郭の原型を見ることができる。
かつては、上野国と武蔵国を結ぶ古道で、通称「鎌倉街道」が通っていた場所であり地上交通路の要所であった。鎌倉街道も跡を見ることができる。秋には、板東武者ををにちなんで、時代まつりが行われている。
国蝶オオムラサキが多数、生息する地としても知られている。小京都の所以ともなっている武蔵嵐山渓谷周辺樹林地が、トラスト保全されるなど自然保護にも力を入れている。
埼玉県の小京都・嵐山町の観光ポイント
- 京都の嵐山を彷彿とさせる風景
地域情報
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