津山市
古くは美作国府・国分寺が置かれた政治・経済の中心にあり、旧出雲街道の要衝として栄えた。街道沿いに歩くと古い町並みが残っている津山。防衛上の拠点として配置された寺院もよく今日まで残っている。津山盆地の中を吉井川が流れ、水運を利用して高瀬船も往来していた。
江戸時代の二代藩主の森長継が京都から作庭師を招集して、仙洞御所をまねて造園させたのが衆楽園。長い池に四つの島を配置し、中国山地を借景した名勝として知られる。城跡には天守閣などはないが、鋭い石垣が鶴山公園として残っており、名城らしい面影を見ることができる。特に桜の季節になると美しい姿を見せる。
室町時代にもお城はあったが、応仁の乱の余波で廃城となり、本格的に築城されたのは江戸時代に入ってからである。この地を治めた森家は、本能寺の変で織田信長とともに討ち死にした森蘭丸に繋がり、お城も弟忠政が築城したもの。江戸時代に入ると松平家が変わって入城し外様大名を卒業した。
市内は武家屋敷町、町人町、商人町と分かれていた地域が、今も面影を少し残している。中でも城東地区一帯がよく残っており、小路も歩いていても楽しい。
岡山県の小京都・津山市の観光ポイント
- 「桜の名所」がある
- 江戸時代からの「城下町」
地域情報
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